ぐんま Feed

グンマの昔:はみがき膏売り

Gunma_hamigaki○はみがき膏売り
 歯磨き売りがコマを回して人々を引き付けている。

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グンマの昔:じんだんぼう

Jindanbou21○ぢんだんぼう
 独楽の一種、桧の木でつくり・「しっぺ」で回した。 両端が尖った「つむじんだんぼう」というのもある。

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群馬での暮らし:野生鳥獣肉の放射性物質検査結果について

20140606

なめたかれいの煮付け

Syourai_nametakarei海鮮料理 
松籟(しょうらい)
 (高崎市栄町19-17、027-326-3566、17:30~23:00、土日祝休)

○なめたかれいの煮付け

水まんじゅう

Fukushima_mizuman創業百年 大正元年創業 福嶋屋製菓舗
水まんじゅう
 (株式会社福嶋屋@群馬県佐波郡玉村町上新田1637/イーサイト高崎、0270-65-3765、無休)

○生菓子

義経伝説

Isesaki_yoshitune1○義経伝説(伊勢崎)
 伊勢崎三和町・赤堀町・東村にかけては東道とよばれ、源義経が平泉に逃れるとき通ったとされる。

(堂山)

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グンマの昔:だるま売り

Gunma_daruma○だるま売り

グンマの昔:谷地の磨崖仏

Kawaba59○磨崖仏(川場村谷地)
 観音磨崖など34
基・弁財天磨崖が揃っている。 秩父路を巡拝できない村人のために、まとめて一回で巡礼できるようにと作られたらしい。

※グンマには、自然の岩面に刻まれた磨崖仏が30体以上あるといわれている。

北橘伝説(勢多郡北橘:きたたちばな、現渋川市北橘町:ほっきまち)

Shiroi31○親鸞一行が「波阿弥陀物」と唱えながら布教の途中、上箱田の硯石で利根川の白波を見て、「この自然の激しい地の人々はその気質も激しく、私の教えも容易には理解されないであろう」。 布教をあきらめ常陸国へ向かった。 このとき、硯石で墨をすり和歌を詠んだ。

○火事の時に助けられたお坊さんに、お茶がなかったので甘酒を出したら喜んで飲んだ。 翌朝、石井・珊瑚寺のお地蔵さんの手が焼けていた。 それ以来、甘酒を供えるようになり「甘酒地蔵」とよばれる。 萩原右近・左近兄弟が祭った地蔵ともいわれる。
(上野国群馬郡白井之古城・長尾景春入道伊玄再築図)

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グンマの昔:水牢

Mizurou11○水牢(中之条町横尾字桃瀬ほか東毛に多い)
 江戸時代年貢米を滞納した者を寒中水の中に入れた(本人ではなくて家族を入れた)とされ、沼田城主真田伊賀守信利が利用したのが有名だそうだ。 水牢で死ぬ者も多く、数々の伝説・伝承が残っている。

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寝釈迦・相輪塔

Soouri26○寝釈迦・相輪塔(沢入)
 全長3.74m、天明時代の作とされる。

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ぐんまわらべうた:季節編

Gunma_warabe12ぐんまわらべうた:季節編

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赤城村伝説(勢多郡赤城村、現渋川市赤城町)

Akagi57○湧玉には白蛇が住んでいる、汚したり・不浄物を洗うと祟りがある。 雨乞いだけはきいてもらえる。

○勝保沢の清水側に住んでいた「お哲」は超美人だったので、弁天様とよばれた。 その地では、女の子が産まれると「お哲」と名付けるのが流行った。

○おとうか久保には、オトウカが出た。

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グンマの昔:磨崖

Magai23○磨崖・大梨子(新里村関)
 千手観音・不動明王・地蔵菩薩が彫られ、享和年間の作とされる。

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グンマの昔:吾妻七つ岩

Nanatsuiwa21○産岩・生岩
 赤子に乳をやっていた母親が、落ちてきた大石の下敷きになって二人とも死んだ。
○囀岩
 いろいろなことをしゃべったが、ある時、旅の剣術修行者が太刀でこの石を二つに切ってからしゃべらなくなった。 切られた一片は、中之条蟻川に落ち割石とよばれ・鹿島明神として祀られている。
○割り岩  ○立岩  ○亀岩  ○箕岩 ○七尋岩
※うぶ岩は、昭和村橡久保・中之条町五反田・沼田氏新田上、にもある。(伝説はみな異なる)
※しゃべり岩は、高山村中山・中之条町大道新田・月夜野町石倉、にもある。 ※立石は、高崎赤坂・藤岡立石、にもある。
※グンマには、石(岩)に関する伝説は多くある。

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ぐんまわらべうた:遊び編

Gunma_warabe01ぐんまわらべうた:遊び編

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前橋伝説(2)

Maebashijyou2○茶店で売っていたはぜ棒が六文だったので、「六文棒」と言う地名になった。

○一揆の首謀者として処刑された駒形茂衛は、広瀬川畔の隠し墓に葬られた。(駒形茂衛地蔵)

○悪疫が流行ったとき、弘法大師が屶で石を刻んだのが屶切薬師。

○利根川を渡るのに着物を腰までまくったので「小島田」。(コシマデ→コジマタ)

○上杉方と武田方が戦ったときに埋められた小判があるらしい。(朝日夕日)

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グンマの昔:顔切り地蔵

Kubinashijizou11○顔切り地蔵(金古宿・金剛寺)
 佐渡金山の輸送路であったため、江戸時代は夜盗が多かった。 その中にむささび太夫がいた。 ある夜、村娘を追いかけていたむささび太夫が法師ケ池までくると、向こう岸に沐浴している美女を見た。 そして飛びかかると「ぎゃあ」。 それはと石のようにかたく・水のようにつめたかった。 やっとのことで大太刀で切りつけ逃げた。
 翌朝、村人が池端で血が飛び散っているのを見つけ、あとをたどっていくと金剛時境内り石仏薬師の顔が切り落とされ、むささび太夫が死んでいた。  こうして、村娘を助けた薬師として、顔の病に霊験ある仏として信心を集めた。

百庚申磨崖

Magai22○百庚申磨崖・愛宕山(川場村谷地)
 村人たちが、百庚申を祀ることを念願したといわれる。

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グンマの昔:酒暖計

Syudankei1○酒暖計
 「酒暖計」・「験液器」などとよばれ、酒の発酵状況を知るために使われた。 液体の比重を計るための浮き秤のことであり、比重計と温度計が一体化され・比重目盛りと温度目盛りが刻んである「ホクトメートル」というのもあった。

※大滝金次郎商店(時計商・本町二丁目)で売っていた。

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ぐんまわらべうた:動物編

Gunma_warabe17bぐんまわらべうた:動物編

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岩神の飛石

Maebashi_ishigami11☆岩神の飛石
 輝石安山岩ノ巨石數十個相重ナリテ高サ約一〇メートルノ一小丘ヲナス 先史時代ニ赤城火山ヨリ流出シタル火山泥流中ノ「流レ山」ノ残存セルモノナリ

木苺ゼリーとヨーグルトムース

Fukushima_kiichigo創業百年 大正元年創業 福嶋屋製菓舗
木苺ゼリーとヨーグルトムース
 (株式会社福嶋屋@群馬県佐波郡玉村町上新田1637/イーサイト高崎、0270-65-3765、無休)

○生菓子

前橋伝説(1)

Maebashijyou2○法燈寺は堂塔伽藍が建つ度に焼けたので、杉の坊の天狗により再建されたがやはり焼けて護摩堂だけ残った。(法は水が去る・燈は火が登る、と書くので凶)

○青梨子・井戸八幡宮は竜巻によってでき、眼病に効くといわれた。 井戸には白蛇が住むと言われるが、覗くと目がつぶれるらしい。

○朝に前橋を出ると、暗くなるころ到着するので「あさくら(朝倉)」。

○蹄石は、八幡太郎義家が八幡山へと馬で飛んだ時の足跡。

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グンマの昔:磨墨岩

Magai21○線彫像・磨墨岩(榛名山磨墨峠)
 「するす岩」とよばれる。

伊勢崎伝説(現伊勢崎市)

Gunma_isesakimeisen_2○七夕にはメズラ畑に入ってはいけない。
○子供に新しい着物を買ったらまず七夕様に供える。
○権現山頂上の石に刻まれた文字が読めれば、金の鞍をつけた白馬が飛び出してくる。
○五郎兵衛墓場(石宮)は虫歯の神様。
○半夏の日には笠をかぶるな。
○広瀬川・タネン淵にはカッパが出た。
○広瀬川に流れ着いた矢を祀ったのが太田町・五郎神社。
○八坂堰近くに生える蘆が片葉なのは落人の怨念。
○宮子町にキリギリスがいないのは宮子大明神の髭をかじったから。

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グンマの昔:弘法のツメ彫り不動

Magai25○赤城寺・三夜沢(宮城村鼻ヶ石)
 弘法のツメ彫り不動。 「弘法の爪彫り」はグンマ各地にみられる。

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グンマの昔:氷餅

Gunma_koorimochi○氷餅
 三が日と七日に縄で十文字に縛った餅を井戸に浸してから柄杓で水を汲んだ。(若水汲み)  この餅を年神棚につるし、六月一日に食べた。 凍餅は、マムシ除け・疫病除け・蜂除け・眼病除けともされた。

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女堀 メモ

Soujya_onnabori19☆女堀
 前橋市富田町・二之宮町・荒子町・飯土井町・西大室町・東大室町、伊勢崎

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ころとん生ロール

Fukushima_koroton2創業百年 大正元年創業 福嶋屋製菓舗
ころとん生ロール
 (株式会社福嶋屋@群馬県佐波郡玉村町上新田1637/イーサイト高崎、0270-65-3765、無休)

○生菓子

赤堀伝説(佐波郡赤堀町、現伊勢崎市)

Tenmakushiro○ダイダラボッチの左足跡がある。(右足跡は約1Km離れた磯沼or波志沼)
※「ダイダラボッチ」は「だいだら法師」の足跡との説もある。
○ウナギは虚空蔵菩薩の使者だから食べてはいけない。(捕らえたときはカサの池に放す)
○毒島城主藤原秀郷の屋敷・墓がある。
○今井村と深津村の境界争いは、山伏寺先徳が人柱となり決まった。
○毒島城主青木入道の若君が落馬骨折したのは乳母が悪いと沈めたのが「姥が淵(おばん淵)」。
○田植地蔵はニラがゆが大好物だった。
○天幕城には天狗が住んでいた。
○千鳥橋ではオトカの嫁取り(チョウチン行列)が見られた。(多田山や片田山にも出た)

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グンマの昔:女堀

Onnabori22○女堀(赤堀・東村)
 昔、尼将軍がこの地を豊かにしようと、赤城山麓ま利根川から用水堀をひこうと考えた。 そして、いく千人もの女陣をそろえ・簪で堀はじめた。  しかし西国定まで来ると夜が明け用水路はそこまでとなった。

※尼将軍については、桜姫とも北条政子ともいわれることがある。

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グンマの昔:於菊稲荷神社

Okikuinari51○於菊稲荷神社
 宝歴年間、新町宿大黒屋に於菊という売れっ子娼奴がいた。 あるとき病にかかり見捨てられた於菊を、町人達が神社裏に小屋を建て・看病した。 三年が経ち、ある夜半稲荷の霊が現れ於菊は全快した。 これに感動した於菊は社にこもり・一生涯を身明奉仕に捧げたとされる。

※於菊稲荷濫觴記

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20140530

東村伝説(佐波郡東村、現伊勢崎市)

Amagaike1○豊城入彦命が腰を掛けた石が国定赤城神社の腰掛石。
○弘法大師が独鈷で地面を突いて水を湧き出した地が独鈷田。
○宝蔵院を開いた吉繁法印を忍んで刀と法螺貝を埋めたのが国定・法螺塚。
○夜な夜な現れた馬に乗った武士を切ったら石になったのが頼光塚。
○阿満が池で「あま」と呼ぶと清水が湧き上がる。
○十六歳の娘は赤城山に登ってはいけない。
○小泉稲荷神社は「ヤンダンジ様」とよばれていた。(耶無陀羅寺)

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高崎だるま

Daruma21○高崎だるま
 天明三年の浅間山焼けで天候不順となり苦しんだ農民の励みとなるよう、少林寺東嶽和尚自ら木型を彫り・紙張りだるまの「起上小法師」の作り方を伝授した、といわれている。

*高崎だるまは、かつて豊岡だるま(福だるま・縁起だるま)とよばれていた。

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猿ヶ京関跡

Sarugakyou31○猿ケ京温泉
 上杉謙信が関東出陣のおり、宴会の席で「今年は庚申の年・今日は庚申の日・我も申年、めでたいめでたい。 ならばこの地を猿ガ京とせよ」。

☆「今日は申の日か?」のつもりで「申が今日か?」と言ったとの説もある。

※江戸時代は関所が設けられた。手形は関所ホテル管理。

群馬での暮らし:小野上駅

Onogami99○小野上駅・JR東日本吾妻線

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上野村

Ueno36○上野村の地名
 楢原(ならはら)、乙父(おっち)、乙母(おとも)、川和(かわわ)、勝山(かつやま)、新羽(にっば)、野栗沢(のぐりさわ)、中ノ沢(なかのさわ)、三岐(みつまた)、神行(かんぎょう)、浜平(はまだいら)、黒川(くろかわ)、明ヶ沢(みょうござわ)、白井(しろい)、坂下(さかした)、利根平(とねだいら)、堂所(どうどころ)、大平(おおだいら)、須郷(すごう)、楢沢(ならざわ)、中越(なかこし)、小春(おばる)、中村(なかむら)、田平(ただいら)、石神(いしがみ)、乙父沢(おっちぎわ)、神寄(かより)、住居附(すもうづく)、向屋(こうや)、八幡(やわた)、野乗(のぐり)、奥名郷(おくなごう)、胡桃平(くるみだいら)、

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玉村伝説(佐波郡玉村町)

Gunbaiyama連載[グンマの伝説]は、まじめに読み続けると脳崩壊のおそれがあります。
○源頼朝がヤナギの箸を地に刺したのが生えて逆さ柳になった。
○源頼朝がこの地で飯を食べ「うまい米だ、この村を飯塚(めしづか)と名付けよ」。
○百足丸と呼ばれる名刀は刃こぼれが百足のように見えたので、こう呼ばれた。
○昔疫病が流行ったとき煤炭が顔に付いた少女だけが病にかからなかった、のが「すみつけ祭り」の始まり。 【顔に泥を塗る】とはこの事。
○清和天皇がオンベ(御幣)を立てて四万の神々を祀ったのがオンベ山。(軍配山古墳)
○1193年源頼朝がこの地を見て由比ヶ浜を想い角淵八幡神社を建てた。
○忘れ物を見つけてくれる地蔵様の願果たしは、白い布・頭巾。
(軍配山)

グンマの昔:四万の痔蒸湯

Shima31○四万温泉
 グンマの温泉効能として痔疾とする所が多く、鳩の湯温泉・薬師温泉・谷川温泉・四万温泉(痔蒸湯)、などが有名であった。 特に、四万温泉は蒸気浴(痔風呂・痔蒸し)といわれ、入浴で体全体が温まったら穴の上に座り温泉の蒸気をあてるものであった。

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グンマの昔:鹿沢温泉

Kazawaonsen○鹿沢の湯
 白雉元年頃、貞保親王なる者が眼疾でなかなか治らないでいると「信濃国浅間山裏にある温泉で眼を洗え」と夢の中でお告げをうけた。 そして現地におもむき沸々と湧く湯を見つけた。 これが「鹿沢の湯」である。 病の治った親王は、近傍の弥津村に永住したとされる。
 また、鹿を追って狩人が深山に入ると、手負の鹿が湯に入り疵を治しているのを見て、「鹿沢の湯」と名付けたとの説もある。

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お富ちゃん饅頭

Fukushima_otomi11創業百年 大正元年創業 福嶋屋製菓舗
プレミアム お富ちゃん饅頭
 (株式会社福嶋屋@群馬県佐波郡玉村町上新田1637/イーサイト高崎、0270-65-3765、無休)

○和菓子

万座 メモ

Manza_66c

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グンマの昔:報恩の水道

Hoin21○報恩の水道・吾妻町堀切
 ある昔、一人の坊さんが薬師堂に宿をとった。 しかし旅の疲れがたたり、病気になってしまった。 これを知った村人は長らく看護・世話をし、やっとのことで回復した。
 坊さんは恩返しに、水に困っている村民のために、水路をひくことにした。 それは谷から山一つ堀抜くものであり、毎日毎日少しずつ掘り進めた。 やがて村中が手伝うようになり数ヶ月経ってやっと完成した。 そしては村中喜び・お祭りさわぎとなった、そして坊さんはどこかへいってしまった。

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グンマの昔:万座温泉

Manza_66○万座温泉
 姥湯・熊四郎山の湯・錫湯・新苦湯・塩湯・苦湯・鈴湯・新錫湯・奥万座法性の湯・銅粉の湯・ラジウム北光線の湯・琥珀の湯・三昧の湯・鉄湯・甘苦湯・松の湯、がある。

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赤堀の鼻取地蔵

Akabori22○赤堀の鼻取地蔵(佐波郡・現伊勢崎)
 赤堀村五月には、かつて薬師堂があり堂山とよばれる小山がある。 この薬師は鼻取地蔵とよばれ、お願いすると薬師様が馬の鼻取りをしてくれた。
 この薬師如来様は「おかゆ」が大好物であり、鼻取りをお願いした人は「おかゆ」を供えた。 ある時、くたくたになるまで薬師様に手伝ってもらった人が、いつもよりうんと多くの「おかゆ」を供えた。 翌日田んぼに行くと薬師様が来てない、どうしたかと薬師堂へ行ってみると薬師様が苦しんでいた。「おかゆ食べすぎてお腹イタイ」
 それからというもの、薬師様の鼻取り手伝いは無くなった。
※「ニラがゆ」で腹痛になったので、その後は韮を植えなくなったとの説もある。
※島城跡

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グンマの昔:碓氷貞光

Matsuida_sadamitsu11○碓氷貞光・松井田町金剛寺
 都を追われた橘靭負充貞兼と賓頭廬姫の間に生まれた荒太郎(後に貞光)は、七歳にして両親を失いながらも武芸学問に優れ・怪力の持ち主でもあった。
 ある時村人に頼まれ、碓氷峠の大蛇退治に行き、太刀を振りかざして大蛇と戦っていると十一面観音が現れ鎌を授けたのでこれで大蛇を退治した。  村人は「十一面観音」そして「鎌明神」を祀り、碓氷山定光員金剛寺を開基した。 碓氷峠には貞光に因む事柄が多い。(貞光梨もある)
 また安政二年には、安中藩主板倉勝明侯が藩士の心身鍛練のため遠足(とおあし)を行わせた。 このときに振る舞われた餅にあやかり峠の名物「力餅」がうまれた。

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グンマの昔:群馬県庁

Gunmaken16○群馬県庁
1871年10月28日第一次群馬誕生、11月19日旧高崎城で執務開始、1872年5月27日県庁前橋移転布告、1873年6月15日熊谷県発足し熊谷が県庁となる。 1876年8月21日第二次群馬県成立し県庁は高崎、1876年9月21日県仮庁前橋発令、1881年2月26日県庁前橋決定。

※前橋全町民あげての誘致運動であり、仮県庁移転は一日で終え・その後経済力ある前橋商人をはじめとする大口寄付金で諸施設を整備して実績をつくり、高崎を退けた。

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グンマの昔:仙人窟

Senninkutsu21○仙人窟・吾妻町大戸
 1200年前、行基菩薩が洞窟で一夜の宿を取ると、仙人が現れ言った「ここには菩薩様はいるが、仏様がいない」。 そこで行基は観音様を刻み祭った。
 また、岩櫃城主真田信幸が兵を仙人窟に隠し、敵に不意打ちをかけたともいわれる。
 そして1624年松厳が大円寺を開き、後に潮音の弟子心月が十八羅漢を作ったとされる。

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