― 人生に遊び楽しむ、おいしい・たのしい・おもしろい ―
○カステラの大根おろし添え 江戸時代、京都菓子屋・萬屋五兵衛では、蓋ものにカステラを入れ熱湯(季節によっては冷水)を注ぐ・カステラに山葵や大根おろしを薬味とする、などあったらしい。
続きを読む »
押絵師(羽子板)
○羊羹サンドイッチ 虎屋ニューヨーク店定番メニュー(1993年~2003年)、羊羹とクリームチーズを食パンにはさんだ。 ※最初はフランスパンにはさんだといわれる。
○江戸のうどん・大坂のそば 元禄年間まで江戸にはそば屋は無く、蕎麦はうどん屋でたべるものであった。 ソバはやせた土地でも育つので備荒食として栽培され、「そばがき・そば切り」として食べられるようになり、うどん屋はそば屋に商売替えした。 大坂はうどんが主流だったが、蕎麦を出すうどん屋が多く・蕎麦専門の店もあった。 古く大坂では「そばがき」を食べる習慣は無く、うどん(しっぽく・おだまき・あん平)が食べられていた。
○池袋の下女(池袋の石打ち) 池袋から出てきた女を召し抱えたり・手を出したりすると、石打にあう・部屋の道具が飛び回る・そのた怪奇現象が起こるといわれた。 ※池袋の産土神が怒り・祟りをなすとされた。※池袋の女・池尻の女、ともいわれた。
○饅頭 塩餡を包んで膨張剤で膨らませたのが奈良饅頭、後に塩瀬系の薬まんじゅうとなり、江戸期になると関東に広がった。 甘酒発酵させた生地で作ったのが酒素まんじゅう、後に虎屋系の酒まんじゅうとなり、江戸期になると関西に広がった。※高麗橋の虎屋には、菓子切手(ギフトカード)もあった。
○茶道具(日光) 栃や欅を使った日光彫りの木地製品のあまりで作ったミニチュア玩具。
うんすんかるた 画像番号: C0063319
○手毬 布や紙などを芯にし各種の糸で巻いて模様を作った。 芯の材料は、ぜんまい・芋・こんにゃくなど各地方により異なる。
ちやんちやんわらいすご六(双六類聚のうち) 画像番号: C0055313
○姉様人形(松江) 江戸時代に城中で流行った人形遊びが、明治時代に各地で引き継がれたといわれる。
菓子双六
○一間羽子板(八代) 女の子が産まれた初めてのお正月に、子供の成長を願って贈られた。 一間(1.8m)あったので一間羽子板。 ※羽子板はすでに室町時代にあったといわれるが、当初は蚊を追い払う呪い(蜻蛉の代わり)・子供の疫病除けとして羽根つきが行われた。
○鈴木春信「美人の首」明和二年酉年あけましておめでとう(明間シ手面相がいい)
新版御菓子雙六
○売薬一覧(江戸時代) 白龍膏・白雪糕・西大寺豊心丹・東山小粒・萬金丹・神教丸・孫太郎虫・反魂丹・奇應丸・無名圓・龍王湯・紫金錠・烏丸枇杷葉湯・岩見銀山・牛肉丸・藤の丸膏薬・定斎・薄荷圓・五種香・ズボウトウ・ウニコオル・正氣散・和中散・王子五香湯・一粒金丹・實母散・錦袋圓・讀書丸・清明丹・堀越固本丹・婦王散・茄子薬・年玉薬・小児丸・大木五臓圓・達摩薬・三つ星薬・てれめんていこ・角力膏薬・芭蕉膏・熊の傳三膏薬・徳平膏薬・かぶと膏・梅花膏・万能膏・あんま膏・玉水疥癬薬・即功紙・うなぎ薬・
○胆丸 腹痛緩和薬、いわゆる「熊の胆(胆嚢)」。○むしおさえ 腹痛緩和薬。
色の薄いのは現代の寿司、江戸時代の寿司は大きかったらしい。
○友鏡・虎屋 幕府がペリーに贈った菓子
100種の和菓子を納めた重箱。 20個入りが五段、菓子一個は約150g。 (皇族・公家御用達品、一般庶民不可)○百味菓子(有掛祝い) 棹菓子・数菓子・干菓子の他、生鯛・山椒・はしばみ・榧・海老・梅干し、が入る。
○鰻汁(江戸時代料理)
画像番号: C0002144 列品番号: P-3036 作者: 河鍋暁斎※「外国」の対義語か「内国」、なので「外国旅行」に対しては「内国旅行」となる。
○鰻 文政年間には、神田和泉橋通の鰻屋春木屋善兵衛が「丑の日元祖」と称している。 室町時代に醤油が造られるまでの調味料は塩・ひしお・味噌・酢などであり、鰻料理はぶつ切り塩味や馴れ鮨だったといわれる。
嘉永年間、森田六三郎により植物園が造られた。 上品な雰囲気が大奥の女性たちの人気を集めたといわれる。
○江戸名物菓子 鈴木越後のようかん、鳥飼和泉のまんぢう、塩瀬のまんぢう、越後屋播磨の菓子、翁屋の翁せんべい、両国若松屋のいくよもち、浅草金竜山もち、吉原竹村の最中月、麹町たちばなやの助惣やき、麹町鈴木兵庫の菊一せんべい、麹町おてつぼたもち、深川船橋屋のねりようかん、向島長命寺の桜もち。
○焼芋 寛政時代は蒸芋(大蒸し)、やがて神田弁慶橋に「原の焼芋」が開店したのきっかけに江戸は焼芋全盛となった。 この焼芋は庶民の食物であったため大奥・大名家奥向などは食べたくても食べられず、密かに上菓子と交換したらしい。 ※「八里半」は栗ほど旨いが安いの意、「十三里」は栗より(より)旨いの意。 ※藁の熱灰に埋めたと思われる。 輪切りにし・塩をふり・遠火で焼いた焼芋もあったらしい。
○のぞきからくり 江戸時代後期、それまであったのぞき眼鏡にヨーロッパから入ってきた遠近法が加わり、のぞきからくりとして大人気になった。
○竹馬 古くは、葉の付いている生竹に縄を結んで手綱とし・またがって駆け遊んだ。 その後、駒(牛)の頭の形がついた棒になり、さらに高足となった。
○八杯豆腐 出汁六+醤油一+酒一=八杯汁。 葛でとろみをつける・大根おろしをのせる、こともある。※豆腐を八杯(八本)に切ったので「八杯豆腐」の説もある。
新暦 明治五年十一月布告あり「来月三日をもって、明治六年一月一日とする」。 この結果十二月は二日間で終わり・正月となったため、大混乱だったらしい。
○天麩羅屋 油と火を使うので調理は外で行われた。(店舗も同様)※江戸では、軒下七尺五寸以内での火の使用が禁止されていた時代があった。
○カツオのなます
○声色屋・明治時代
日光杉並木(幕末期)
蹴上インクライン(琵琶湖疏水・京都疏水)
東洋文庫
飛龍頭☆飛龍頭・がんもどき・ひろうす 古くは、ポルトガル語Filhosが源の揚げ菓子だった。☆ひりょーす・ヒリョース、filhos 古くは、粳米粉と糯米粉を水で練り合わせ・ゆでて・油で揚げた。
堺包丁
○八雲役場・大正元年
○けんぴん 土佐「けんぴ」の源
☆外郎(ういろう) 砂糖をとかし・上新粉を混ぜ・煮したもの。 もともと外郎は薬の名前、菓子は薬の口直しとして売られるようになった。 また、黒い丸薬だった外郎の色形に似せて作られたともいわれる。 古くは「透頂香」なる薬、元朝が滅びた時礼部員外郎の職にあった陳氏が日本に亡命して作ったといわれる。(外郎家として医を業とした)
[ ブログ内画像検索 ]
もっと読む
最近のコメント