― 人生に遊び楽しむ、おいしい・たのしい・おもしろい ―
○亀山のお化け売り 雷門内露店にて、「飛たり刎たり潜ったり」する玩具を売り出し、やがては江戸の名物となった。 ※人形の底にある細い竹がバネとなり、人形が飛び跳ね・かぶり物が飛んで顔が現れる。
○周易八卦絵巽風(歌川国芳)
○節分のお化け(関西限定) 節分の夜、色町の玄人たちが仮装し・素人は仮装して色町へ繰り出した。 ※ここでの「お化け」は、性別・年代を化けるの意。
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○奇異上下見之図
○飴細工 江戸時代は、飴を葭の茎の先につけ・息で膨らませながら形を作ったといわれる。 鳥の形が多かったので「飴の鳥」とよばれた。※見るだけで、食べることはなかったらしい。
○歌川重宣「江戸名所・はんじもの」 上野、赤坂、四谷、目黒、隅田川、芝、浅草、本郷、金杉、入谷、築地、高輪、番長、本所、王子日暮里、梅若。
○唐人飴売り 唐人風の飴売り、馬の張子を身につけて踊るホロホロ飴売・唐人笛を吹き太鼓を叩く飴売・唐人笠をかぶった福輪糖売、などもあった。
○大正百馬鹿番附
○鎌倉節飴売 三味線を弾き・鎌倉節を歌い・荷台の上に人形と鉦を据え・鉦を鳴らし、飴を売り歩いた。 ※歌舞伎十三代目市村羽左衛門が舞台で演じたともいわれる。
○東京遊覧番附
○きりぎりす売り 上総から蟋蟀・甲州から蛍、など売りに来た。 ※江戸見物を兼ねての行商だったらしい。
○大小番附
○蝶々売り てふてふとまれよ、なのはにとまれ、とてもとまるなら、よしのさきへとまれ、それとうまった、ひゃうばんひゃうばん。 ※細い竹の先に紙製の蝶をつけた玩具。※江戸だけの商売、京阪にはなかったらしい。
○東京名代食物番附
○あんけらこんけら糖売 安永頃、紅の縁取りをした浅黄色頭巾につ・伊達染のひとえを着て・摺り鉦を鳴らし・歌いながら、飴を売り歩いた。 ※後に、あめこかいな飴売り・念仏(あまいだ)飴売、なども現れた。
○顕微鏡(むしめがね) ミコラスコービユム(ミコラスコープビュー)。
○お駒が飴売り 元文頃お駒が黄八丈の着物を着て始めた、安永頃には男が髷の先を蜻蛉形にし・派手な羽織で売り歩いた。※浄瑠璃「恋娘昔八丈」中の台詞を売り声としたといわれる。
○饅頭売 砂糖饅頭・菜饅頭などがあったらしい。 七一番職人歌合 東京国立博物館
○蘇民将来(長野・八日堂) 桃や柳の六角棒(八角棒)の各側面に、蘇民・将来・子孫・人也・大福・長者、などの文字と模様を描いた。 ※「素戔鳴尊・すさのおのみこと」が道に迷い蘇民将来の家に泊まり、そのお礼に茅で作った輪を与えた。 その後蘇民は、「素戔鳴尊子孫」と書いた札を門口に掲げ災いからのがれたといわれる。 やがては「茅の輪くぐり」として残った。
○コンストホンテイン 上より落る水を激して吹上げさするは、尋常の水機関なり。 左に図する物は、低き水を上へ引上げるからくりなり。 蛮名「コンストホンテイン」といふ。
○水果子・水菓子(平安時代末期) 扇面古写経 下絵模本 東京国立博物館 ※果物を水果子と呼ぶのは江戸流、関西では生物・なりもん。
江戸の玩具
台付きからくり・花見踊り(国立博物館)
○駄菓子 江戸時代は一文菓子・明治時代は一銭菓子と呼ばれた。 ○駄玩具 子供が「持ち遊び」→「お持ち遊び」→「お持ちや」→「おもちゃ」となった。
○のろま人形 寛文・延宝のころ、江戸和泉太夫人形中瑠璃座にて野呂松勘兵衛が「頭ひらたく色青黒く・いやしげ」な人形を遣ったのが始まり。 ※「のろま」の語源といわれる。
○孫太郎虫売り 孫太郎虫(ヘビトンボの幼虫)を黒焼きにし、小児の疳の薬とした。 ○鼠とり薬 鼠殺薬売り、「石見銀山ねずみとり、いたづらものはいないかナ」とかけ声て゜売り歩いたといわれる。
○写し絵 幻燈機(風呂)のなかに種油燈心を入れ、その光をガラス板に描かれた絵(種画)にあて、レンズを介して白布(スクリーン)の裏より投射する。
風にのりて所々をありき人をみれば 口より黄なるかぜを吹かくる。 其かぜにあたればかならず 疫傷寒をわずらう事とぞ。
○うどんとうふ(八はいどうふ) 古くは、豆腐の薄切りを「水四・醤油二・酒二の割合で混ぜた汁」で煮たらしい。
ラジオトグルトースター:1910~1930年手を触れずにパンを裏返しできる。
○旧鼠(古鼠) 文明年間、出羽の郷士・那曾の和太郎ま厩に住み着いた鼠が年を取り古鼠となり、家の猫と仲良くしていた。 ある時猫が五匹の子を産んだが死んでしまったので、鼠が残された子猫を育てたと伝えられる。 ※絵本百み物語・桃山人夜話
○花屋敷 嘉永五年千駄木植木屋森田六三郎が植物園開園、鳥獣少々。 この地は元禄の昔、桜の名所であった。 また観音裏・奥山と呼ばれ見世物で賑わい、その後浅草六区に引き継がれた。 ※明治二十年頃には、ミニ富士山や凌雲閣(十二階)が造られた。○観覧車 明治三十九年四月大阪府博覧会記念会・明治四十年東京勧業博覧会にあったとされる。 明治三十六年第五回内国勧業大博覧会には、メリーゴーランドやウォーターシュートもあった。
○手車売り 釣り独楽、今のヨーヨー。
※三谷一馬本の絵は、描き直してあるため原絵を留めていない。
○山地乳 蝙蝠が刧を経て野衾となり・さらに年を経て怪奇の形となり・山に隠れ住み「山ちち(さとかり)」となった。 人の寝息を窺い寄りその息を吸い、誰が見る人あれば長寿・見る人無ければ翌日死ぬといわれる。
○小豆洗(赤小豆洗い小僧) 昔、越後高田のに一宇の法華寺あり、六代目日顕の弟子は才能に優れ・特に早く物の数を知ることができ、和尚が一合・一升の赤小豆の数を問うと一粒も違わなかった。 これを妬んだ円海は小僧を殺し・井戸に沈め、誤って落ちたように見せかけた。 それからは小僧の霊が現れ、雨戸に赤小豆を打ちつけ・川の流れで赤小豆を洗い数を数えるようになった。 やがて円海も捕まり死罪となるや、小僧と円海の霊が争うようになり、寺は寂れ消滅した。
○有卦菓子 有卦とは、吉事が七年間続く年周りのこと。 有卦振る舞いとして祝宴を催し・贈り物をする。 ※贈り物は、福にちなみ「ふ」の字がつく物を七品選ぶ。
○豆蔵 浅草奥山の東芥子之助は豆と徳利を操る大道芸人、ことに明和・安永頃の二代目が有名だったそうだ。
○八幡不知・明治三十年頃 下総国葛飾郡八幡(現市川市)に十間四方の森、この森に入った人は再び出るこ とはできなかった。(本朝俗諺志。延享三年) ※市川市役所向かいに「やぶしらず」跡が残っているらしい ※市川市市川という地名もある
画像番号: C0073450 作者: 鈴木春信 時代: 江戸時代ホニホロ
○籠細工 瓢・海老・鯉・蟋蟀・蜻蛉・木の子、など
○飴売り 唐人飴売り・朝鮮飴売り・あまいだ飴・飴売り紅勘・あめこかいな飴・お駒飴・おじいが飴売り・お万が飴売り・狐の飴売り・土平飴売り・ほにほろ飴売り・陳三官飴売り・安南こんなん唐人飴売り・拳骨飴売り(辻占付き飴)、など多数。
三尊仏
○すすきみみずく・暫狐 すすきみみずくは雑司が谷・鬼子母神。 暫狐は王子稲荷神社、市川団十郎が暫を演ずるにあたり祈願したとされる。☆鬼子母神 祭神は鬼子母神、なのでここでは鬼という字には上部のノが無い。(つの・角のつかない鬼の字)
○とんだ霊宝(開帳仏細工物) 安永六年三月、領国で人気の見世物・三尊仏。 尊躰飛魚・頭くしがい・天衣するめ・台座吸物椀・御光干鱈・御光仏常節貝の中にごまめのあたま・台座吸物ぜん・…
○塩の長司(長次郎) 加賀小塩に住む塩の長司は家裕福にして馬三百疋持つも、常に悪食を好み死んだ馬の肉を味噌や塩に漬けて食らうも、肉が尽きたため老馬を殺して食べた。 それからは毎夜、馬が夢に現れ長司の喉に食いつき・口から入り・腹中を傷め悩ませて出ていくようになり、ついに長司は死んでしまった。
呑馬術(馬腹術)
○とんだりはねたり 割竹の台に被り物をした張子人形を乗せ、台裏 の糸の縒り戻す力を利用し、飛び跳ねると同時に 被り物がとれる仕組み。 ※地方によって、ちょんべ・はねむし・飛人形・亀山のお化け・亀山のちょん兵衛様、ともよぶ。※「とんだりはねたり」は、安永年間浅草田町・亀屋中兵衛が見せ物をヒントに考案したといわれる。
○人体模型
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