― 人生に遊び楽しむ、おいしい・たのしい・おもしろい ―
○道祖神焼き(おんぼや) おんぼやー しゃんこたて しゃんこたてと唱えながら子供たちが、カンジン棒を持って村中をまわり、カンジン(お金)をもらってくる。※おんぼや小屋を作る地域もある。
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○雉子車(きじぐるま) 小正月(1月15日頃)にヌルデやアカマツで作る。 子供達がこれをひいて道祖神焼き(ドンドン焼き)に行った。 雉は野火が巣を襲っても逃げることなしに卵を抱き続けるのて、「愛情・子育ての象徴」とされたらしい。※地方によっては、きじうま・ケンケン・喜寿くるま などともよぶ。※「木地屋が作った牽き車が始まり」との説もある。
○秘境奥利根 1888年以降幾度となく探検隊が組織されたが、雪渓などに阻まれ失敗。 長い間人類未踏の地であったが、1975年からの学術調査でついに奥利根の全容が解明された。※人跡未踏の地に、 群馬県林務課による「利根水源探検隊」が入った。(1926.8.12) その後、谷川岳幕岩Aフェイス北稜初登頂。(1962.3.19)
○みなかみ町藤原西山の遊び ホーロク元年ヤカン年 ナベの吉日チャガマの日 チッチパ 冬の夜女の子が集まり、木の名遊び・ナゾ遊び(ナンゾ)・昔話と続いた。 やがては1957年藤原ダムの底に眠った。※村人は家を燃やして村を去った。※群馬県内には52基のダムがある。(発電・水道用水などを含む) その湖底に数多くの村が眠ったことを忘れてはいけない。
高崎十五連隊が演習で妙義山に行軍した際、中之岳神社の旭岳に這い上がった等々力大尉が「おれがこの上に立って、この岩の上で逆立ちする」と言い、敢行した。 ので「等々力岩」とよばれたが、いつのまにか「轟岩」となったという説がある。
手抜き版を作ってみた。
○日清製粉株式会社 1901年館林製粉株式会社設立、1908年日清製粉会社を合併し日清製粉株式会社と改称し横浜へ移転、1910年大日本製粉株式会社を合併。※高崎工場では、航空機用ベニヤ板製造したこともある(1944.2.15)
○カカシ神 六合村入山だけにみられ、通常一体でこわい顔が描かれている。 案山子と同じ考えとみられ、鳥や獣が畑を荒らさないようにと作る。 正月がすむと、畑際に持っていくか・翌年まで神棚にかざっておいた。
○鳥追い(小正月)鳥追いだ鳥追いだ ありゃだれの鳥追いだ じろうどんの鳥追いだ あたまきって しりきって しょうゆだるへ さらべえこんで 佐渡島へぶん流せ (中之条)
○ドンドン焼きの火にあたると風邪をひかない。 ○道祖神焼きの灰をこたつに入れると風邪をひかない。 ○道祖神焼きの灰を家の周囲に撒くと、百足・蛇・虫が入らない、盗難除けになる。
○繭玉 養蚕が盛んだった頃は、米粉でマユダマを作り飾った。(ズウアゲ・オコサマアゲ) 十六日には、マユダマをゆでて食べ(マユネリ)十七日を過ぎるとマユダマをはずした。(マユカキ) 地域によっては、マユダマは鳥・花・野菜などの形に作られた。(花菓子ともいい木型でつくられた)
○あわ穂俵・ひえ穂俵(おかま俵)ともよぶ
○セッチンビナ(セッチンヨメゴ・セッチンベーナ) 正月十四日に便所の神様を祭る。 紙またはトウモロコシの皮で作った人形を便所に飾る。 セッチンビナは男神女神なので、二つ(一対)作られる。 ※売りに来た絵姿(花魁の立姿など)を便所に貼ることもある。(便所神:ウッサンミョウサマ )
○オンマラサマ 水祝い・カゴ祝い等と称して、新しく嫁を迎えた家に行く行事。 多くは、ドンドン焼きの日に行われた。 これをしめ縄で村の中央につるし、村人が一列に並んで「オッー、オッー」と叫び土神様を招き呼ぶ儀式が「オンマラサマ」である。※カタナをオキンマラということがあるが、通常オキンマラは太く、ひねれた木が好まれる。※オキンマラをドウロクジンのヒョーケ神とも言う(上野村)
○御魂の飯・オタキアゲ 正月十四日夜か十五日朝、おむすび六個に箸を立て仏壇に供える。
○権田のごもっとも様(おやおや) この地にはトムコ(友婿)という制度があった。 これは、結婚式に際する青年相互扶助でもあった。 誰かが結婚するとなると、全員で準備し結婚式を取り仕切るのである。 そして翌年一月十四日、嫁をとった家へトムコ全員が招待され、このとき持参する土産が「ごもっとも様」である。 そしては、子孫繁栄を願って「おやおや」と叫びながら嫁に押しつけるのであった。※「金マラさま」とよんだり、道祖神に奉納したりする地域もあった。
織物生産地として広く知られていた桐生町は、1921年市制をしいた。 その後1959年栃木県菱村を吸収合併した。 菱村にとって県境の桐生川の河川管理が財政的負担であったので、対岸の群馬県桐生市と越境合併したらしい。(桐生競艇で財政豊富だったようだ)
○女の年取り 小正月を女の正月ともいい、女の人は雑用から解放される日でもあった。 地域によっては「馬と女の年取り」といい、女の人が先に風呂に入り・仕事を休み・美味い物を食べ・爪を切った。 この日に爪を切っておけば、後はいつ切っても良いし、夜爪(夜切る爪は鷹の爪と嫌がられた)も許された。 この日に切らずに巳の日に切ると「身を切る」ので良くないとされた。(六日爪)※片品では子供の「遊び宿」があり、家々を遊び歩く。 子供が集まった家は無法地帯となるが、悪魔払いなので家人は気にしてはいけない。
○小正月・モノヅクリ 一月一日を大正月、十五日を小正月とし農作に関する各種飾り物をした。 削り花をつくり、門松を変える。 正月十四日に、削り花やつくり物を飾り付ける。 ヌルデ・ミズブサ・ニワトコ等の木の皮をむいて削り花をつくる、地域によりハナ・カキバナホダレ等とも呼ばれ、形態もさまざまである。 モノヅクリは、木製のミニチュア農具である。 その他、粥かき棒・ドウロクジンやキジ車などもつくられた。※粟俵・稗俵を作る家もある。※農具のミニチュアを作らずに、目録を書くだけの地域もある。
この味は 闇のたばこで 買えぬ味
群馬初の百貨店、地上六階・地下一階の建物は当時県下最大・最も高いビルであった。(1964.9.18~1985年)☆屋上に遊園地があったそうだ。 ※グンマ初のデパートとして、前三百貨店・藤五デパート認可。(1963.1.19)
○一つ家の碑①八万三千八三六九三三四四一八二 四五十二四六百々四億四百 ②子子子子子子、子子子子子子 ③大、二、八、を、四、六、九、八、九、十一、十二、か、な
○粟穂稗穂(アーボヒーボ・アワボヒエボ) 小正月に、「今年もこのように粟・稗が見事に実りますように」と願って立てる。(十三日に作られ・堆肥の上に立てられることが多い) アーボヒーボ このとおりこのよなかますに 十かます(叺10袋採れるように)※予祝との説もある。※皮をむいたのがアワボ(粟穂)・むかないのがヒエボ(稗穂)とした。
上州三原駅
○みたまの飯(オミタサマ・オミタマサマ・オタキアゲ) 小正月の夕食後、別釜で炊いたご飯を年徳神・宇賀神・オミタミサマに供える。 にぎり飯にする地域が多いがその個数はマチマチである。 先祖祭りの一つと言われている。○オニダマ(マルビ) 十四日に炊いたご飯でおにぎり16個(個数は地域により異なる)をつくり、ウツギの木(箸)を刺し、オミタマサマへ供える。 ウツギの箸はヤナセ(流し)のまわりに立てるとミミズがわかないされた。
道祖神祭り@高崎石原町
北軽井沢駅
○けずりばな(削り花) 小正月に、「自分たち幸せに」と願って二個(対)で飾る。 地域によって、名前も形も異なる。(かどほだれ・なげばな・じゅうろく・おたなばな・くるまばな 等)※ミズキやヤナギなどを削って作る。 神の依り代や捧げものなど多様な面を持っている。
1909年草津軽便鉄道着手。 1915年営業開始:新軽井沢~小瀬温泉。 1917年小瀬温泉~吾妻。 1919年吾妻~嬬恋。 1924年電化し草津電気鉄道に改称。 1926年新軽井沢~草津温泉全線開通(55.5km約3時間・車内トイレは無い)、「四千尺高原の遊覧列車」として全盛、草津節流行の波にのる。 1939年草軽電気鉄道に改称。 国鉄長野原線開通による乗客減少・台風被害により1960年新軽井沢~上州三原廃線。 1962年1月31日全線廃止された。(当日は、大雪で乗客・見物人はほとんどいなかったらしい)
○ドッコイ 道祖神焼きの火で先端を焦がし、神棚に供える。 ミズブサの木などで作られる。 終わると、屋根に放り上げ「屋根に蛇を通さない」と魔よけにする地域もある。 多くは軒端にさしこまれ、あるいは子供のチャンバラごっこの刀となった。
○棚店(たな) いまでいう駄菓子屋、駄菓子・おもちゃ・おでんまで売っていたとされる。 人気だったのが、「くじ」や「さがし(さぐり)」。 新聞紙の袋に入って紐でつるされているものを、袋の表からさぐって引っ張り取るので「さぐり(さがし)」と呼ばれた。
○群馬鉄山 昔から吾妻川は赤い水が流れ、河原の小石も赤く染まっていた。 1940年頃、小倉部落人により発見されたが、交通不便なため開発には至らなかった。 1944年、日本鋼管が採掘を開始、鉱石運搬用の鉄道が施設された。 その後、1945年送鉱開始も終戦で休山、第二次大戦で鉱石が使われることはなかった。 が、1949年鋼管鉱業が生産再開し、釜石鉱山に次ぐ鉄鉱山となった。 そして、硫黄分を除くべく太子焼結工場が建設された。(1951年) その後は、公害・煙害・砒素含有など問題を起こして工場閉鎖となり、ついには終山となった。
群馬では、1910年前橋で「みやこ館(オリオン座の全身)」を常設したのが最初とされる。※高崎では 1913年電気館開館、1929年消失・再建、2001年閉館。 1920年高崎劇場開館、1938年東宝映画劇場に改称。 1921年富士館開館、後に帝国館と改称。 1880年藤守座(芝居小屋)建設後に世界館と改称、1918年第二大和館となり、松竹を経て後にオリオン座となった。
○伊香保ケーブル鉄道(関東鋼索鉄道株式会社) 1929年伊香保~ヤセオネ峠間に施設開業、1934年伊香保ケーブル鉄道に改称、戦時中は撤去されたが再建したものの、1966年廃止。(傾斜長2090mは当時最長)※左側の駅舎は1947年カスリーン台風で流失。
○沼田天狗面 沼田市北部の迦葉山龍華院弥勤寺は853年、天台宗比叡山座主の慈覚大師を招き、創建したと伝わる。 その後、室町時代に曹洞宗に改宗された。 さらには1451年、禅問答で天巽禅師を破り曹洞宗を確立した。 寺には日本一の天狗面が安置され、古くから天狗の寺として有名だ。 同寺に入山した僧侶が天狗になって昇天したとの伝説があり、参詣者は最初の年に天狗面を寺から借り受け、願いが叶うと門前の店で新しい天狗面を買い求めて二つを奉納し、さらに別の天狗面を借りるという風習が今も続いている。
創業百年 大正元年創業 福嶋屋製菓舗求肥 水仙 (株式会社福嶋屋@群馬県佐波郡玉村町上新田1637/イーサイト高崎、0270-65-3765、無休)○和生菓子
○伊勢崎小学校(1920年)
○山名八幡獅子頭 上信電鉄山名駅近くの山名八幡宮は830年前、山名城主新田義範が宇佐八幡宮を勧請して社殿を造営したと伝わる。 この神社では、古くから子育てと虫封じの縁起物として張り子の獅子頭が授与され人気がある。 全国でも珍しい頭にかぶる様式で、神功皇后が幼い息子(応神天皇)に唐獅子を与えたところ、獅子をかわいがり、思いやりのある元気な子供に成長したとの伝説に由来する。
○組み立てるだるま 発売元:RiJT JAPAN@高崎市鶴見町
○杓子 かつては六合村の特産品・碓氷峠の土産品であった。 その歴史は古く、文化文政時代には作られていたらしい。(メンバは明治時代以降) 木製は、熱い鍋の中に入れおいても柄が熱くならないのが利点。○柄の形状により二つに別けられる。ナミジャクシ:まっすぐな柄オウランジャクシ:付け根が曲がつてそっているもの
○招き猫 だるまと共にこの地方では、古くから招き猫も作られる。 それらが製作されるのはこの地方が養蚕が盛んだったためだ。 蚕の上がりがよいようにだるまが、繭をかじる鼠除けのまじないに天敵の招き猫が求められた。 招き猫は商家や銀行にも金運招福・商売繁盛の縁起物とじて人気がある。 右手挙げと左手挙げがあり、右手を挙げる猫は金運、左手を挙げる猫は客を招くとされる。 ※金運と客の両方を招きたい人は、両手を挙げた猫を買うべし。☆招き猫、両手をあげると「お手上げ」として縁起が悪いともいわれる。
創業百年 大正元年創業 福嶋屋製菓舗鹿の子 初舞 (株式会社福嶋屋@群馬県佐波郡玉村町上新田1637/イーサイト高崎、0270-65-3765、無休)○和生菓子
きうりのシャキシャキ感が美味しい。
1930年代
○イモグシ(イモ田楽)イモ(主にサトイモ)を串にさし焼いて味噌(山椒味噌がうまい)をつけて食べる。 イモといえばふつう里芋のこと、薩摩芋は「さつまいも」という。 歳神にも供える。
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