― 人生に遊び楽しむ、おいしい・たのしい・おもしろい ―
○小松島・向島八州園・浩養園・佐竹の庭、などとよばれる 墨田区吾妻橋1
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○洲崎神社・洲崎弁天、江東区木場。 洲崎は、初日の出・潮干狩り・月見など行楽地でもあった。 (遊郭)
☆真崎の社・水神の森、墨田区堤通2・隅田川神社 神代の昔水神が亀に乗って入江に着いた。 源頼家が平家征伐のおり川を渡ろうとするも風波で渡河できす、水神に祈ると風はなぎ無事に渡れたので、感謝の社を建てた。
○三囲神社・三囲稲荷社、墨田区向島2-5-17
○柳島妙見堂(柳嶋妙見山法性寺)、墨田区5-7
○木母寺・梅若塚、墨田区堤通2-16-1
☆回向院、墨田区両国2-8-10
松飾り (遊郭)
○岩亀楼(岩槻屋佐吉)、横浜市 (遊郭)
〇芝大神宮(芝神明宮・飯倉神明宮) 港区芝大門1-12-7 ☆飯倉神明社・飯倉神明・芝明神 九月十一日~十五日が祭礼。 九月になると社内には、見世物・曲馬・力持・吹矢などの見世物小屋が立ち並び、曲独楽・軽業などの興業がはじまり、多くの露店が出た。 とくに薑売り(生姜売)が多かったので「目かち薑」・「目くされ市」ともよばれた。 この賑わいが九月下旬まで続いたので「神田のだらだら祭」とよばれた。
○神田明神、千代田区外神田2-16-2
〇日枝神社、千代田区永田町2-10-5☆山王祭 元和元年六月十五日にはじまった。 道路の両側ませ垣を作り・高張り提灯を立て、軒先に提灯を並べ・造花をさし・幕をかけ・軒下に青い丸竹の欄干を作り、囃子台では組神楽・手踊りを催した。 町家では、つくり庭・酒樽・菓子・蒸篭・魚の番台桶を積み上げ、さらに茶船・荷足船・天満船をのせ造花で飾り、たくさんの提灯をともした。 なお、十四日から十五日夜まで武家は外出禁止。 ※神田社の祭りと隔年ごとに行われた。
☆王子五香湯(王子五香散) 禅夷山金輪寺(王子権現別当・王子稲荷別当)の万病薬、小児に験功あり。
☆陀羅尼助(あほにだら・あほんだら・あほだら) 大阪には「陀羅助」という、極めて苦い健胃整腸薬があったらしい ☆陀羅尼助・お百草・煉熊(だらにすけ・だらすけ) キワダの樹皮から作った健胃整腸薬、全国各地にあった。 僧侶が、陀羅尼経を誦するときの眠気予防として用いた、のがはじまり。 大和国吉野洞川産が有名。
☆久津川古墳群・城陽市
-☆べか車・輇車、江戸では大八車※大八車:明暦の大火後牛車大工が復興工事用に作った、一人で八人分運べるので「代八車」。 他に、長さが八尺なので大八車、など諸説ある。
☆うつろ船・潜水艇 船体前後に舵、船体上部に伸縮する見張り台(潜望鏡)、鉛の重りをかけて潜航、二重構造の外板の隙間に海水を取り込み浮沈みする。(模型寸法:全長85cm・高24.5cm・船腹27cm)※模型は組立式
☆つちのこ・車塚古墳(1930年頃) 古くは、ノヅチなるツチノコが古墳を守り・侵入する者には祟るとされた。
☆久修園院霊亀社・亀の恩返し 枚方市楠葉中之芝2-46、072-857-3969
淀川八幡山勝景
枚方市禁野橋・1953年頃
泉山家は幕末から明治初期にかけては呉服屋として活躍、その後、銀行・醤油醸造業・起毛工場等を経営し泉山財閥として東北有数の豪商に発展した。 泉山醤油合名会社日出セメント等の事業を通じて八戸の発展の基礎を作った。(作成途中)
江戸時代末~明治時代
江戸時代
茶碗菓子売
苦林野古戦場、毛呂山町川角2238
飯能市 縄市
〇泥棒正装姿 Siebold Collection※画像はイメージです
☆狐舞 十二月晦日の吉原、白木綿で狐の縫いぐるみに・御幣と錫を持ち・踊りはねた。
〇寒施行(狐施行・野施行・穴施行) 狐の餌が無い寒中、狐が棲む神社・森・藪などに赤飯・餅・油揚げ・野菜天婦羅などを置いて歩いた。 稲荷の狐への感謝と・豊作祈願を祈った。※主に関西(大阪池田)での風習
○豆腐小僧 お盆の上に豆腐・頭に大きな傘、父親は見越入道・母親は轆轤首ともいわれるが、正体不明。
〇弁慶橋、千代田区紀尾井町・港区元赤坂一丁目
泥めんこ
○犬っこ(秋田県湯沢)新粉細工、泥棒除け(番犬の意)。 ※十日町・諏訪神社の節季市にも、しんこ細工の縁起物(チンコロ)があるらしい。 湯沢では「犬っこまつり」。
○親子狸 柳森神社、千代田区神田須田町2-25-1、03-3251-6422 親狸は家にまつり・子狸は懐に入れてお守りとすると、幸運を呼び寄せる。
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