さいたま Feed

竹葉亭

Ginza_chikuyoc☆竹葉亭・東京都中央銀座

 慶応二年浅蜊河岸(現新富町)で刀預かり所・留守居茶屋開店。 明治九年廃刀令発布により二代目別府金七が酒処「竹葉亭」を開き・鰻を焼いて出すようになり、明治中頃には新富座・東劇・歌舞伎座などに鰻弁当を納めるようになった。 また、鰻焼き名人焼政吉(浅野政吉)がいたといわれる。

※「竹葉」は、酒の異名「ササ」の連想で酒を意味するといわれる。

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いせ源

Isegen_2☆いせ源・千代田区神田須田町1-11-1、03-3251-1229
 天保元年創業。 立川源四郎が親戚のどじょう料理「伊勢庄」から独立して神田連雀町に「いせ源」開店。 当初はどじょう料理屋、四代目政蔵があんこうなべ専門店に衣更えした。

※アンコウは動きが鈍く・頭上の触手を動かし小魚をおびき寄せて一口で飲み込む、その姿が太平楽なので「安康」とよび・後に「鮟鱇」となった。

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日本橋鮒佐

Funasa1☆日本橋鮒佐・中央区日本橋室町1-12-13

 大野佐吉が品川沖でシケに遭い佃島に流された折り土地の漁師に雑魚の塩煮をふるまわれ、これをヒントに文久二年醤油で味付けした佃煮を売り出した。

※当初は鮒を串に刺し・タレを付けて焼いていたので、「鮒屋の佐吉」とよばれたのが「鮒佐」となった。(鮒寿々め焼)

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山本海苔店

Yamamotonori☆山本海苔店・中央区日本橋室町1-6-3

 嘉永二年山本徳治郎が日本橋室町に「山本海苔店」創業。 二代目徳治郎が明治天皇京都行幸の折り御所への土産献上品として「味付海苔」を納め、後に宮内庁御用達となった。

※味付海苔は、ブリキ缶に入れられ市販された。
※梅も海苔も共に香りを尊ぶことから、山本徳治郎が「梅」を商標とした。

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イセ食品

Morinotamago☆イセ食品・鴻巣市箕田3440(工場)

 明治四十五年創業。 富山で鶏卵業を営む伊勢多一郎が「伊勢養鶏園」を興し、丈夫で産卵能力の高い鶏を作りだし・1948年には一羽当たり年間300個を産むようになった。
 1962年鴻巣に進出し鶏卵生産販売をはじめた。
※森のたまご

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伯方塩業

Hakatanoshio☆伯方塩業・今治(松山市大手町2丁目3-4)
 1973年創業。 1971年「塩業近代化臨時措置法」により国内塩田全廃し専売制となり、製造も「イオン交換膜製法」に統一された。
 そこで松山在有志達が「塩田製塩」を残す運動をし、1973年自由販売塩として許可された。

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聖護院八ツ橋総本店

Yatsuhashi☆聖護院八ツ橋総本店(玄鶴堂)・京都市左京区聖護院山王町6

 元禄二年創業。

※玄は黒の意・鶴は鳴き声が琴ね音に似ているので「玄鶴堂」。

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森八

Morihachi☆森八・金沢市大手町10-15/新宿区四谷2-9
 加賀藩主前田利家配下亀田大隅の子森下屋八左衛門(宗兵衛)が、寛永二年創業。 明治二年「森下森八」に改称、明治後期に「森八」に改称。
 初代八左衛門当初は酒造業、後に菓子業に転業し「長生殿」考案・当初はもち米を練り白地に黒ごまを散らした塩味だった。 三代目八左衛門が和三盆糖を用いて現在の形となった。
※大隅が戦いの折、「龍の爪が玉を掴んだ紋章」を描いた胴丸を着けていた。

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福砂屋

Fukusaya☆福砂屋・長崎市船大工町3-1

 寛永元年創業、ポルトガル人からカステラの製法を伝授されたといわれる。
※福砂屋の砂は砂糖のことではないかともいわれる(福健省から砂糖の商)
※古くは「蝠」の字が「福」に通じるとされた。(日本石油のマークもコウモリ )

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モロゾフ

Morozofc☆モロゾフ・神戸市東灘区向洋町西5-3
 1931年葛野友槌「神戸モロゾフ製菓」設立、日本に亡命していたロシア人フィヨルド・ドミトリー・モロゾフの指導でチョコレートを製造販売するも返品などて営業不振、直営店販売に踏み切った。 1936年「モロゾフ製菓」に改称、1941年世情悪化で菓子製造不可、1945年空襲で全焼失。 1946年喫茶店開業、1952年カカオ豆輸入許可となりチョコレート生産再開した。
※1936年2月二代目葛野友太郎が米人記者から欧米習慣を聞き・日本の英字新聞に広告を出した。 これが日本のバレンタインデーの始まりといわれる。

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矢切の渡し

Yagiri_shibamata1○矢切の渡し・矢切渡船 
 葛飾区柴又7-18地先に乗場、江戸川・松戸側に白旗が立っていれば運航

 寛永八年幕府が、関東郡代伊奈半十郎を管理者として公営渡し場(柴又村舟渡~矢切村)を制定した。

※有限会社矢切渡船は、明治時代から杉浦家が世襲制で引き継ぎ運営・運行している。  

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新宿中村屋

Nakamura_sinjukuc☆新宿中村屋・新宿区新宿3-26-13

 明治三十四年創業。 相馬愛蔵・黒光(良子)夫婦が本郷のパン屋「中村屋」を買い取り、そのままにパン屋をはじめた。 明治三十七年シュークリームをヒントにクリームパンを製造販売、明治四十二年新宿に移転しボルシチ・月餅・中華まん・缶入り水ようかんなども販売した。

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木村屋總本店

Ginza_kimurayac☆木村屋總本店・東京都中央区銀座

 明治五年創業。 木村安兵衛と英三郎(二男)が芝日陰町で「文英堂」開店するも焼失、翌年銀座に「木村屋」出店。
 安兵衛の妻「ぶん」の弟貞助が鉄舟の剣術道場師範代だったので、鉄舟は木村屋のあんぱんが好きだった。 この鉄舟が明治天皇にあんパンを差し上げたところ、明治天皇は喜び「花ぐわし桜もあれど此やどの世々のこころを我はとひけり」と詠んだ。 そしては木村屋は皇室御用達となった。

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伊東屋

Itoya37☆伊東屋・東京都中央区銀座2-7-15

 明治三十七年創業。 竹川町(現銀座7丁目)の洋服商に生まれた伊藤勝太郎が、明治三十五年隣の文房具店を買い取り・文房具店に専念した。 明治三十七年銀座三丁目に移転し、和漢洋文房具「伊東屋」創業。

※伊藤勝太郎、正しくは伊東勝太郎だったとの説もある。

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寺西化学工業

Magicink☆寺西化学工業・大阪市旭区生江213-11

 大正五年寺西長一が大阪旭区に創業。 1950年頃内田洋行社長内田憲民が欧米から持ち帰った商品をヒントに・三年間の研究の末・マジックインキを造りだした。 当初は全く売れなかったが、山下清が点描画に使い・テレビ普及の波に乗り、広く普及した。
※この理由で、マジックインキの登録商標は内田洋行になっている。

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ヤマト

Yamatonorib☆ヤマト・東京都中央区日本橋大伝馬町9-10

 両国薪炭商に婿入りした木内弥吉、炭を小分け袋詰めして販売しようとしたが封止糊が腐り失敗、改良を加え腐らない糊を開発し行商を始めた。
 明治三十二年墨田区に「ヤマト糊本舗」を立ち上げヤマト糊製造販売開始した。
 1948年頃中央区横山町5に移転し「ヤマト糊工業株式会社」に分裂改組、矢的ヤマト糊(1955年認可)となる。 1965年「ヤマト株式会社」に社名変更。
※商売が大当たりするには「矢が的に当たる」、なのでヤマトになった。(現会社の商標が矢が的に当たるヤマト、木内弥吉が作ったのは倭糊→大和糊→ヤマト糊)

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カモ井加工紙

Kamoi37☆カモ井加工紙・倉敷市(中央区日本橋室町4-3-9)

 大正十二年鴨井利郎が倉敷に「カモ井のハイトリ紙製造所」開所。 第一号商品は机上に置く「平紙」、低価格・高品質で大好評。 1930年天上からぶら下げる「リボンハイトリ」発売、一般家庭必需品として爆発的ヒット商品となった。
 戦後殺虫剤が普及し、1946年各種加工紙製造とし「カモ井加工紙」に組織替した。

※ハイはハエの方言
※利郎は鴨井銀三の入り婿

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ダイドー

Daido_match☆ダイドー・神戸市
 明治三十年創業。 明治八年日本でマッチ製造開始。 明治三十七年パイプ印マッチ登場・主に輸出用、製造元は「日本紙軸燐寸製造所」、1939年「船井燐寸株式会社」に改変、1944年「大東燐寸工業株式会社」に改称。 1949年パイプマッチ国内向け生産開始、東京向出荷分は火薬部分が黒・地方向出荷分は火薬部分が赤、ラベルの色も異なった。 1974年日本燐寸株式会社と合併し「ダイドー工業株式会社」。
※兵庫県は、当時の貿易港神戸に近く・比較的湿度が低く天日干しに適していた。
※東京人には、勢いよく燃える黒色火薬(塩素酸カリが多く湿気に強い)が好まれた。

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パレスハイツ

Palacaeheights1☆パレスハイツ・千代田区麹町隼町(現国立劇場地)

 昭和20年12月陸軍航空本部が米軍に接収され、2万余坪に及ぶ土地に宿舎郡「パレスハイツ」が建設された。 昭和33年11月25日返還。

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総本家駿河屋

Surugaya2☆総本家駿河屋・和歌山市駿河町12

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装束稲荷神社

Ojishozoku1○装束稲荷神社・東京都北区王子2-30-13

 十二月晦日夜、関八州の狐達が大榎(装束榎・衣装榎)の下に集まり・高級女官に装束を改め・行列を整え、王子稲荷神社に参拝した。 農民達は、装束を着替える時に灯した狐火のゆらぎ具合で稲作豊凶を占ったといわれる。

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十条富士神社

Jyujofuji1☆十条富士神社(富士塚)
 北区中十条2-14-18

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牛蒡坂

Gobouzaka2☆牛蒡坂・滝野川のごぼう
 東京都北区滝野川1-37地先

 都電飛鳥山電停南方の逆川跡から道音坂坂上の鎌倉街道へ登る急坂で、その名は滝野川村の、滝野川牛蒡によるもので、この辺りは牛蒡・人参の生産が盛んであった。
※坂上が牛蒡畑だったらしい

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越ヶ谷雛

Koshigayabina2(江戸時代)

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名主の滝

Nanushi61○名主の滝公園
 東京都北区岸町1-15-25

 安政年間王子村名主畑野孫八が、自分の屋敷内に井戸を掘り・滝を開き、塩原の風景を具現した。 戦後、精養軒や東京都を経て北区に移管された。

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音無川大瀧

Ojiozeki68c☆音無川大滝・音無川堰・王子音無川堰埭世俗大滝
 東京都北区

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小山酒造

Koyama228c○小山酒造株式会社
 東京都北区岩淵町26-10、03-3902-3451

 赤羽岩淵の湧水が酒造に適していると、明治十一年小山酒造株式会社創業。

※2018年2月28日、清酒製造業から撤退した。

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弁天の滝・松橋弁財天洞窟

Ojibenten31c☆松橋弁財天洞窟・金剛寺(紅葉寺)
 東京都北区

※写真は河川改修前

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稲荷の滝・王子稲荷

Ijiinari68c☆稲荷の滝(王子稲荷)・東京都北区岸町1-12-26

※写真は稲荷の滝跡、現存しない。(垢離場)

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権現の滝・王子権現

Ohji20_43☆王子権現(王子神社)・東京都北区王子本町1-1

 はたして「権現の滝」は何処にあったのか?

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不動の滝・正受院

Ijifudou68c☆不動の瀧
 正受院西側から石神井川へ落ちた滝

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王子七滝

Takinogawa64☆音無川・東京都北区

※現在あるのは「名主の滝」だけです、他の滝は現存しません。

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岸飛行場跡

Akabanehikouki1c ☆岸飛行場(赤羽飛行機製作所)
 東京都北区、旧志茂1南部~神谷北部~赤羽南部 一帯(詳細不明)

 大正五年築地明石町岸一太が試作機を飛ばそうと開設、風洞から電気溶鋼炉まで併設、陸軍にアルマン六型機四機納入するも数年で閉鎖。

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大塚古墳

Otsukakofun86c☆大塚古墳・東京都北区赤羽台

 高さ約5m・周囲約520m・約100坪の円墳、赤羽台(旧陸軍軍用地内)にあった。

※写真墳上にあるのは明治天皇進駐記念碑。

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東京都交通局 メモ

Oji_1960東京都北区王子・1960年

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帝釈人車鉄道

Shibamata_jinsya5☆帝釈人車鉄道・東京都葛飾区

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城東電車

Jyotoudenkikidou1c☆城東電車・城東電気軌道
 江戸川区

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王電(都電荒川線)

Oujieki9○王子電氣軌道・東京都北区

☆都電荒川線は、なぜ飛鳥山を大きく迂回しているのか?

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大久保条里

Ookubo23○大久保条里
 さいたま市桜区

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新明寺古墳

Ookubo31○新明寺古墳・大久保古墳群
 さいたま市桜区塚本246

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荒川総合運動公園

Ookubo22

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アメダス

Ookubo11○アメダス
 さいたま市桜区・大久保浄水場


☆さいたま市の気温はどこまで寒いか?
 観測点付近の地表温度は、さいたま市街より3℃以上低い…

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口琴

Hikawahigashi11○氷川神社遺跡・大宮公園内遺跡・氷川神社東遺跡
 さいたま市大宮区高鼻町

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一夜塚古墳跡

Asaka_daikan11○一夜塚古墳跡
 朝霞市岡3-16

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湧水代官水

Asaka_daikan01○湧水代官水
 朝霞市岡3-8

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江東区・まちあるき

Kotoku_50

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芭蕉記念館

Kotoku_81○芭蕉記念館・芭蕉庵史跡展望庭園(分館)
 江東区芭蕉記念館、江東区常盤1-6-3、隔月曜休、03-3631-1448

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のらくろ館

Kotoku_71○のらくろ館
 田河水泡のらくろ館・森下文化センター
 江東区森下3-12-17、03-5600-8666・江東区森下文化センター内

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深川三十三間堂

Fukagawa_33kendo☆深川三十三間堂・蓮華王院(江東区深川)
 新両替町弓師備後が浅草東本願寺近くに三十三間堂を建築するも元禄十一年焼失、深川に土地下賜を受け新三十三間堂を再建した。
※京都三十三間堂と同規模だったといわれる。

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深川図書館 メモ

Fukagawatosho60

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